ここ一ヶ月ほど、入院している。
体調と環境を含め諸々の事情が重なっての入院なので、大きな病気といえるわけではないかもしれないが、最近になってやっと、直接の入院の原因になったものが過労とストレスであるらしいことがわかってきた。

やっと、自分が落ち着いていると感じられる時間が存在するようになり、一日に数十分程度読み物をすることができるようになった。
不思議なことだが、病気で自身の死を意識しそれに寄り添った形で書かれるブログ、身近なひとの死を看取ったひとのブログを自然と求める。
特に、身近なひとの死を間近で見てきた、自分と同業のひとの文章に強く惹き寄せられる。

また、自分でも、身近な人間が死んだときや、闘病生活中の彼とわたしとのやりとりの情景をふと思い出すことがある。
いのちと呼ばれるものを産み落とす作業を前に、いのちのはじまりとおわりの瞬間について、経験や感情を当事者と共有・共感するかたちで寄り添った人間のことばやイメージが琴線に触れる。

まったく頭が上手に回らないので、ひとこと
わたしはこどもを産む作業に積極的に向かうべきではないと感じます。

頭が狂いそうです。でも狂わないんだけど。そしてそこがもっとも恐ろしいことでもあるのです。